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埼玉県立近代美術館 草間彌生 永遠の永遠の永遠 [埼玉]

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最近多くの場所で目にするようになった草間彌生の作品の特徴は水玉模様です。

今回の展示でも埼玉県立近代美術館の内外が多くの水玉模様で飾られていました。

これまでこんなにも美術館内で自由に写真を撮ることができたものがあったでしょうか。

基本的に展示中の彫刻作品は全て撮影可の物でした。

一番インパクトがあった物は写真にも示したとおり、美術館の吹き抜けいっぱいに飾られたやよいちゃんのバルーンです。

巨大さのあまりフレームに収まり切りませんでした。

 

立体作品がたくさんあり受け入れやすそうな展示ですが、その中心は平面絵画作品になります。

「愛はとこしえ」 あるいは「わが永遠の魂」などのテーマの下に約100点の作品が展示されています。

振り返ってみれば、草間彌生の絵画作品をじっくりと見るのは初めてな気がします。

水玉模様とは異なり、横顔の抽象や目などが巨大なキャンバスいっぱいに並べられているような作品に圧倒されました。

色使いから見れば、飾ってみても面白いと思わせる物もあります。

細かい模様が並ぶ精巧な作品ですが、鑑賞の方法としては5~10mくらい後ろに下がって見るのが一番心が落ち着く位置のような気がしました。

もっとも、水玉模様の立体作品と違い作品は難解です。

展示の途中には箱状の部屋の中に水を敷き、壁を鏡張りにした中で球状のオブジェとカラフルな光で空間を照らす「魂の灯」という体験型の作品もあります。

部屋の中に誘導されじっとしていると怖い感じがあるかも知れませんが、列に並んでも体験しておくべき面白い作品です。

予想通り衝撃的な企画展でした。

いかにも現代アートです。

 

この企画展に関連して、常設展の方でも草間彌生関係の作品が展示されています。

その中の一つの1960年頃の作品群は水玉模様とは遠い、とても暗い、それでいて何か深みを感じさせる絵画でした。

また、携帯電話の草間彌生モデルの展示もありました。 

多くの人に取り付きやすいアートはいいですね。

 

埼玉県立近代美術館 草間彌生 永遠の永遠の永遠

~5/20(無休) 10:00~17:00 一般1100円 大高生880円

最寄り駅は京浜東北線の北浦和駅です。 


土浦市立博物館 土屋政直-土浦藩主の横顔- [茨城]

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土浦は常陸国第二の都市であり、江戸時代には水戸藩に次ぐ九万五千石の大きな藩でした。

今でも城跡は公園として残り、いくつかの櫓が建っています。

震災被害の修復か前々からの改修工事かは分かりませんでしたが、訪れたときは立ち入り禁止で中には入れませんでした。

今回の展示の中心は土浦藩主で一番の功績を残した老中土屋政直の話題です。

老中筆頭になるほどの優れた人物であり、茶の湯を愛すなど文化人としても一流だったようです。

今回の展示ではそんな茶道具や将軍下賜の刀などが展示されています。

茶室の間取りだったか、部屋割り図面が国宝指定されていたのには驚きました。

資料として一級だということでしょうか。

老中を輩出した土屋家ですが、残念ながら短命の藩主が続き、幕末には他家からの養子がメインとなってしまい表舞台に現れることはなくなってしましました。

土屋政直が土浦藩一の藩主でしょう。

2階にはそんな政直の逸話がいくつか紹介されていました。

後ろ向きで小言を言うため怒られている人は代理を立てて入れ替わってしまうなんてこともあったようです。

真実かどうかはともかく、いろいろと面白い物がありました。

 

さて、実は土浦市立博物館は常設展のパネルも興味深い物でオススメです。

土浦藩の文化や物流について詳しく書かれていましたが、霞ヶ浦に面しているだけあって文化は東から船でやってきたようです。

そして土浦文化圏はその霞ヶ浦に流れ込む桜川沿いに形成されていたようでした。

今で言うところの土浦市とつくば市北部と桜川市などです。

常磐線が南北に走っているために縦の物流をイメージしてしまいますが、昔は当然東西の物流だったのですね。

地域支配もそれに準じる形で行われており、平将門以降は同じ平氏の常陸平氏が治めていたそうです。

その後源平の争乱で八田知家流の小田氏に移り変わり、戦国時代には佐竹氏などの台頭が始まります。

なかなかまとまっていて分かりやすい説明でした。 

 

土浦の街はシャッター街になっている部分もありますが、入ってみたいと思わせる魅力を醸し出している店も多々あり、力強く活力を秘めている印象でした。

 

土浦市立博物館 土屋政直-土浦藩主の横顔-

~5/6(以降無休) 9:00~16:00 一般105円 

最寄り駅は常磐線の土浦駅です。 


若一神社 [京都]

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京都の地図をよく見てみると、西大路通りが八条通と交わるところで西にやや蛇行しています。

都の大通りを曲げてしまうほど影響力があるものは何かというと、それこそ若一神社です。

その道が曲がったところには周辺の住宅街とは似つかわしくない楠の巨木がそびえたっていました。

 

この若一神社は平清盛ゆかりの神社で当時はこの周辺に清盛の屋敷があったといわれています。

あるとき清盛が土の中から若一王子の御神体を見つけたことからこの地に神社が祀られるようになりました。

今では、清盛の立身出世にあやかって開運出世に御利益がある神社として伝わります[グッド(上向き矢印)]

今年は大河ドラマの影響で例年に増してこの神社が注目を浴びているのではないでしょうか。

 

実際に中に入ってみると、社自体はさほど大きくなくビルの谷間にひっそりと存在しています。

源平の争いで平家が負けたために社域が狭いのではないのでしょうが、華やかさは感じられないところに栄枯盛衰の姿を見るような気がします。 

平安の世を静かにしのぶ、そんな場所です。

 

最寄りバス停は京都市バスの西大路八条です。 


埼玉県立歴史と民俗の博物館 大名と藩 [埼玉]

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江戸時代の埼玉県は多くが天領や旗本領で藩が治めている領地は半分程度でした。

しかし、江戸に近いこともあり重要な拠点との位置づけから老中になるような譜代大名が代々治めていました。

また、そのような状況から入れ替えが多く、様々な家が転封してやってきてはまた別の地へと移っていきました。

土地に対する愛着が希薄な埼玉県と言われますが、こうしたところに原因もあるのかも知れません。

 

展示は家康の関東入国に始まり、各藩の遺物の紹介になります。

展示品も調度品や刀、甲冑など多岐にわたりますが、数はさほど多くありません。

しかし、著名人に関する資料も多く、 板倉重昌、松平信綱、柳沢吉保、大岡忠光などの人物に関する資料もありました。

紹介されていた藩は忍藩、川越藩、岩槻藩、岡部藩、久喜藩です。

後者2つはなかなか注目されることはない藩で、久喜藩に関しては江戸中期に廃止されてしまったためにその後は畑地となり、遺構もほとんど無いようです。

少ないながらも注目したのはなかなか希なことではないでしょうか。

岡部藩については現状どうなっているかの説明はなく、江戸上屋敷の発掘調査結果の出土品展示でした。

何らかの機会に更に掘り下げた調査結果が展示されるといいですね。

 

展示の見所は阿部家伝来の羅紗地の陣羽織です。

白地に赤い水玉文様の鮮やかなデザインで今でも好まれる形かも知れません。

江戸期の草間彌生と言ったら言い過ぎでしょうか。

残念ながら展示入れ替えのため4/8までの公開ですので別な場所での展示に期待ですね。

柳沢吉保の肖像は3幅伝わるらしく、こちらも期間中入れ替えられます。

2幅並べて展示されたら面白かったですね。

(比較したい場合は図録上で並べられています) 

 

埼玉県立歴史と民俗の博物館 大名と藩

~5/6(月休) 9:00~16:00 600円

最寄り駅は 東武野田線の大宮公園駅です


府中市美術館 三都画家くらべ [東京]

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今と違って江戸時代の人の移動はとても労力を要する物でした。

だからこそ、土地ごとの文化が形成できたのでしょう。

今のように新幹線[新幹線]や飛行機[飛行機]であっという間に往復でき、情報はインターネット経由で一瞬にして広まる世では全てが均質化してしまいます。

もちろん、情報がストレス無く手に入れられるのは素晴らしいことですが、文化の多様性が失われるのは面白味に欠ける気がします。

 

この展示は題名の通り、京都・大阪・江戸の三都市の絵を様々なテーマに分けて展示しています。

テーマごとにいろいろな地域の作品が並んでいるので、名だたる作家の作品を一度に見ることができます。 

円山応挙や伊藤若冲のほか森狙仙の猿も見ることができます。

しかし、各々の作家の違いは感じることができましたが、三都の違いを感じるのは難しいですね。

南画の山水などは作家が違うと印象が異なってしまうので地域性は分かりませんでした。

むしろ大坂の作家は大衆向けと言うことで、一概に京都や江戸の作家と同列にしてよいものやら。

確かに輪郭を濃く線で表す特徴はありましたが。 

このように横断的に比較ができるのも多くの作品を集めて展示しているからこそだと思います。

個人的には長澤蘆雪の「なめくじ図」が気に入りました。

 

ちなみに真如堂の(塔頭の)ブログによると公開されている寒山拾得図は修理に出すかもとのことなので、その前に見られる貴重な機会になるかも知れません(公開は4/15まで)。

 

府中市美術館 三都画家くらべ -京、大坂をみて江戸を知る 

~5/6(月休)  10:00~16:30 一般700円 高大生350円

(期間中展示入れ替え有り) 

最寄りバス停は京王バスの天神町二丁目です。


飯田市美術博物館 [長野]

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飯田市は長野県南部にあり、直ぐ山を越えれば岐阜や愛知なのですが険しい山に阻まれています。

いまでこそ高速道路のトンネルが開通し便利になったのですが、鉄道では未だに不便を感じます。

地形的には北側に開けているので松本方面への物流があるように思うのですが、特急は南部に向かう物のみで2往復。北へは特急さえ走りません。

その分、高速バスが発達しており、名古屋方面、新宿方面など多くの路線があります[バス]

今回はこの多岐にわたる高速バスを利用して訪問しました。

 

飯田市美術博物館は新しい作りの博物館で館内にはプラネタリウムも設置されています。 

展示室は複数有り、今回はそれぞれにおいて違う展示が行われていました。

一番東側の部屋では「日本画と四季<冬>-菱田春草と飯田の美術-」と題して飯田市出身の画家である菱田春草関連の絵画が展示されていました。

特に注目されるのは春草の朦朧体が感じられる「山水」です。

隣には下村観山の「楼閣」も並べられていましたが、伝統的な水墨画の霞む感じとは異なる漠としたタッチの表現が感じられました。

それがおもしろく、まるで目の焦点が合わずに絵を見ているような不思議な感覚を得ました。

菱田春草の朦朧体は当時は賛否両論で、好意的ではなく受け止められることも少なくなかったようです。

初めて見たのですが、悪い印象はありませんでした。

 

次の部屋は「桜-印籠と謡本、飯田の古桜- 」の企画で印籠などが展示されています。

そして、飯田城の古地図が展示されていてそこには当時の桜の木の位置も詳しく書かれていました。

飯田城は古くから多くの桜の木が植えられていたらしく、桜丸と名付けれた施設もあったようです。 

もう少しして桜が咲けば今でも当時が忍ばれるかも知れません。

 

最後(美術側の)の部屋は「須田剋太の挑戦-色彩とマチエール-」 と題して須田剋太の抽象画が展示されています。

たくさんの絵があるのですが、須田剋太が意図した物は何だったのか汲み取ることは非常に難解です。

線や幾何学模様の羅列には果たして意味があるのか。題名にも意味のある物は付けられて無く解釈が困難でした。

まあ、須田剋太らしいといえばそうなのですが。

ちなみに公式HPにも解説は無し。専門家も難しいのでしょうか。

しかし、なぜ飯田市に須田剋太の作品がたくさん残されているのか釈然としません。

 

その他、常設側には飯田の歴史と自然についての展示がありました。 

 

飯田市美術博物館

日本画と四季<冬>-菱田春草と飯田の美術- ~3/25

桜-印籠と謡本、飯田の古桜- ~4/22

須田剋太の挑戦-色彩とマチエール- ~4/22

月休 9:30~16:30 310円

最寄り駅は飯田線の飯田駅です。 


第46回京の冬の旅 長講堂 [京都]

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日本史を学習すると、荘園制度の寄進のところで登場する二つのキーワード「八条院領」と「長講堂領」があります。

それぞれ高貴な身分の方への寄進という形で、荘園の安定を図る制度であったと記憶していますが、遠い昔の記憶なので正しいかどうか。

そんな中世初期に登場する寺社など既に跡形もなくなっているだろうと思っていたところ、なんと平成の時代にもその長講堂は存在していました。

今回の京の冬の旅では、大河ドラマの平清盛にちなんで長講堂が一般公開されています。

 

これまで長講堂が拝観可能になったことは一度も無かったようです。

六条富小路を上ったところにひっそりとありますが、解説してくれた人の話では地元の人でもその存在を詳しく知る人は少ないそうです。

今回の公開の目玉は後白河法皇の座像と御真影です。

後白河法皇御真影の本物は法王自ら手を入れた作品と伝わる物ですが、50年に一度しか櫃から出されないそうです。

そのため住職となっても一度も目にしない人もいるとか[目]

法要のために本物を複製した物も伝わっていて、こちらが今回書院に飾られています。

しかし、これとて年に一度の法要の時にしか原則開帳されない貴重な代物です。

また座像の方はこの御真影の姿を立体的に彫った物と言われています。 

 

本堂の方には阿弥陀三尊像が鎮座していました。

こちらも平安時代末期に作られた寄せ木造りの素晴らしい物で、重要文化財に指定されています。

観光客が沢山訪れる寺院の仏像もいいですが、こうした静かな環境で拝するのもいいですね。

むしろこういう寺院こそ心のよりどころとしたいものです。

ちなみに書院や本堂は幕末の戦乱で焼けてしまい、江戸後期に建てられた比較的新しい物です。

しかし、書院は以前の阪神淡路大震災の京都を襲った揺れにより被害を被り、改築を余儀なくされたそうです。

そのようなわけで、まだ白木の美しい書院を見ることができます。 

東北大震災も阪神大震災も恐ろしいものです。

 

長講堂の北には蓮光寺という寺があります。

特別公開とは関係ありませんが、ここには平清盛が馬を止めると地蔵が出てきたという伝説を持つ駒止地蔵があります。 

 

第46回京都の冬の旅 長講堂

~3/18 10:00~16:00 600円

最寄りバス停は京都市バスの河原町正面です。 


栃木県立博物館 北関東の戦国時代 [栃木]

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この展示は北関東3館共通テーマ展の一環として催された物で群馬の分は以前こちらで紹介しました。 

その展示は関東の戦国時代の始まりに注目した物であり、今回がその終演をテーマにした物になります。

特に栃木県は戦国時代の終焉には大きく関与しています。

 

北条氏による進行とその後の西からの豊臣秀吉の北条攻め、

そして、北条氏滅亡後の東北地方平定のための豊臣秀吉による宇都宮仕置き、

そして、関ヶ原の戦いのときの小山評定。 

 

どのような事実が紹介され、展示があるのか期待していったのですが、展示会場は一室のみ。

群馬県の物がかなり大きなイベントだっただけに拍子抜けしました。

内容的には以前文書館で開催された宇都宮国綱関係のものの方が充実しているかも知れません。 

展示は文書とパネルがメインです。

前半の見所は那須文書でしょう。

那須家の当主に宛てた手紙が一つの巻物に収められています。

それぞれの大名ごとに筆跡も違えば、花押も異なります。

小田氏治などは書状によって花押が異なるほどでした[ペン]

後半の見所は皆川氏関係でしょうか。

皆川氏は栃木市にある皆川城を納めていた一族で宇都宮氏に従属していましたが、皆川広照のときに北条氏の味方になり、小田原合戦では徳川家康に取り入り大名として存続した家柄です。

先見の明があるというか、運がいいというか。

皆川城は現在も遺跡が残っており、その様子は常設展の方でも紹介されています。

 

ところで北関東のもう1つの県、茨城県の分の展示は・・・というと、どうやら佐竹家関係の展示が共通テーマ展に相当するようです。

いまいち3館の連携がとれているような気がしませんし、広報的にも不十分かと思います。

 

このような感じで北関東の戦国に関しては一室のみでしたが、他の部屋はそれぞれ違う小さな展示が並行して開催されています。 

「おじいさんやおばあさんの子どものころの暮し」展 (~4/1)

「下野の手仕事 -土や石のめぐみ-」展 (~4/1)

「願い・占い・まじない」展 (~4/1)

「宇宙から見た栃木県」 (~4/8)

 

栃木県立博物館 北関東の戦国時代 ―戦国の終焉―

~4/1(月・祝翌日休) 9:30~16:30 一般250円 大高生120円 

最寄りバス停は関東自動車の中央公園博物館前です。 


メタボリズム展その後 (北浦和のメタボリズム) [埼玉]

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森ビルで開かれていたメタボリズム展は終了しましたが、屋外展示されていたカプセルタワーの一室は北浦和公園に移されて公開されています。

これは北浦和公園内にある埼玉県立近代美術館がカプセルタワーの設計者と同じ黒川紀章であることの縁により引き取られたことによります。

北浦和公園の一番西寄りにはアートを展示する芝生スペースがあり、移されたタワーの部屋はそこに鎮座していました。

既にいくつかの作品は配置されていますが、まだ蒐集途上なのでしょう、かなりスペースに余裕があります。

カプセルタワーの部屋もポツンとそこに置かれていました。

シュールな絵です。

説明番もないので事情を知らない人にはこれがなんなのか分からないかも知れません。

(↓説明は壁面に書かれています) 

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中は建築当時の状態が再現されたままになっているので、近くに寄った際には遠くから見るのではなく是非中を覗いてみてください[目]。 

 

北浦和公園の最寄り駅は京浜東北線の北浦和駅です。 


壬生町立歴史民俗資料館 壬生城本丸御殿と徳川将軍家 [栃木]

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最近、日光への徳川将軍の御成が注目されることが多い気がします。

以前ここに記した浦和博物館の展示の他にも川口市でパネル展が開かれましたが、今度は栃木の壬生町で関連する企画が行われています。 

 

日光への行程は前半と後半にそれぞれ2通りの経路を持っていました。

前半の経路には、日光街道が草加や粕壁を通るのに対して、別経路として川口~岩槻~幸手の経路が存在し、これを「御成街道」と呼んでいます。

後半の経路は小山宿を過ぎてすぐの喜沢(木沢)の交差点で、日光街道が小金井~石橋~宇都宮~今市とたどるのに対して、西にそれて壬生城を経由する道が存在しました。

後者を「壬生通」といいます。

徳川将軍が日光社参を行う際にはその時々によって、宇都宮城経由か壬生城経由か選んでいたようです。

 

面白いのはその経路が往路は宇都宮城経由、復路は壬生城経由が多いことです。

どんな理由があるのでしょうか。

経路が分かれる小山市近辺の標高がだいたい50mで、合流する今市近辺が400m。

宇都宮城経由の行程がおよそ55km,壬生城経由の行程がおよそ45kmであることを考えると上りは迂回しながらゆっくりと進み、下りは一気に降りてくることを考えたのでしょうか。

または、帰りの行程は出来るだけ江戸に近いところまで一日で歩いてしまいたかったとも考えられます[足]

実際はどうだったんでしょうね。

展示してあった記録を見る限り、一大イベントでありながら日光社参の具体的な様子は分からないようです。

 

展示のメインは重要文化財である二条城の襖のようでしたが、残念ながら今回の展示との関連性は非常に希薄な一品です。

そのほか、壬生城に限らず、岩槻、古河、宇都宮それぞれの本丸の図面などがあり、将軍御成に際して大規模な改修をした様子が描き込まれていました。

特に吉宗の時は前回の社参から80年程度が経ち、建物が老朽化していたため、その修繕が大変だったようです。

大名にとって迷惑と思われても仕方なかったのかも知れません。

 

壬生町立歴史民俗資料館 壬生城本丸御殿と徳川将軍家

~3/18(月休) 9:00~17:00 一般200円

最寄り駅は東武宇都宮線の壬生駅です。


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